2015年10月20日:神奈川大学野球一部秋季リーグ・桐蔭横浜大学vs神奈川工科大学(横浜スタジアム)
Team | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | R |
神奈川工科大学 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 |
桐蔭横浜大学 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3X | 4 |
神奈川工科大学 | 桐蔭横浜大学 | ||||
打順 | 守備 | 名前 | 打順 | 守備 | 名前 |
1 | 右 | 関根 | 1 | 二 | 豊島 |
2 | 中 | 齋藤和 | 2 | 右 | 島田将 |
3 | 指 | 小椋 | 3 | 一 | 小野瀬 |
4 | 二 | 鈴木 | 4 | 指 | 田港 |
5 | 三 | 横須賀 | 5 | 三 | 山本 |
6 | 左 | 田島 | 6 | 左 | 住本 |
7 | 一 | 實盛 | 7 | 中 | 本夛 |
8 | 捕 | 本橋 | 8 | 遊 | 橋本 |
9 | 遊 | 沼田 | 9 | 捕 | 水野 |
P | 投 | 渡邉啓 | P | 投 | 高橋拓 |
神奈川工科大学 | ●渡邉啓 |
桐蔭横浜大学 | ○高橋拓 |
神奈川工科大学 |
関根→渡邉春(5回裏右翼手)
渡邉春→松本(8回裏右翼手) |
桐蔭横浜大学 |
田港→松岡(9回裏代打、そのまま指名打者)
本夛→益田(10回表中堅手) 島田将→高橋塁(10回裏代打) |
桐蔭横浜大は優勝がかかっていました。
神奈川工科大は3位以下5位以上が決まっていて、
優勝も横浜市長杯も入替戦もない状態。
この試合、下級生に譲っても不思議はないかも、と思っていたのですが、
結果的には、この年の「今までのスタメン」が揃い踏み。
神奈川工科大の先発は4年渡邉啓太投手。 1回裏。4年主将豊島選手が右翼フェンス直撃の二塁打で出塁すると、 犠打で進塁し、3年小野瀬選手が右犠飛。 あっという間に桐蔭横浜大が先制します。 桐蔭横浜大の先発は3年高橋拓已投手。 4回表。4年鈴木選手がヒットで出塁すると、 3年横須賀選手の三ゴロを、三塁手が二塁へ送球したら悪送球でオールセーフ。 …正直、三塁手の3年住本選手、少々守備が危なっかしいです…。 その後、二ゴロ併殺崩れで二塁のみアウトになって一、三塁となった後、 ここで4年主将實盛選手が同点適時打。 實盛選手は秋季なかなか当たりが出なくて苦しんでいたこともあり、 この適時打は嬉しかったですね。 この後は、2投手の我慢比べの投手戦。 ヒットは渡邉啓太投手の方が打たれていた感ですが、 守備陣もよく守っていました。 三塁手の横須賀選手は正直、守備はあまり良くない選手なのですが、 この日は動きもきびきびしていましたし、いい肩も見せていました。 そんなこともあり1−1のまま、延長戦&即タイブレークへ。 10回表。この日ここまで3安打の鈴木選手からの打順、なのは当然でしょうね。 これが右翼ファウルラインぎりぎりに落ち、 更にファウルグラウンドのエキサイトシートにスタンドイン。 変則なエンタイトルツーベースのような、2点適時二塁打に。 おお…! 10回裏。桐蔭横浜大は一番打者の豊島選手から。 豊島選手の打球は二塁横へ。これを、 二塁手の鈴木選手がダイビングしましたが、大きく弾きます…。 これが同点2点適時打に。 なんというか…気持ちが前に出る鈴木選手らしいというか…。 無理に捕球しにいかずに適時打にしていたら、1点止まりだったかもしれません。 なおも一、三塁。 ここで代打2年高橋塁選手が、きっちり右犠飛。 桐蔭横浜大のサヨナラ勝利。 この試合、書き手個人的にも区切りの試合でした。 渡邉啓太投手を、 2年前に初めて見てから、これが大学では最後の観戦。 その後に会えるにしろ会えないにしろ(と当時は思っていました)、 神奈川工科大の選手としては、ラスト。 かかっていたのは「残り僅かの自分の登板機会」だけだったせいか、 この日は普段よりも、よりリラックスした表情を見せていたと思います (いつも厳しい顔はしない選手ですが)。 サヨナラ負けのボールを天を仰いで追い、悔しそうな顔はしていて。 …その後のクールダウンまで見ていましたが… 結局その時の表情を言葉にしたくないので、心にしまって、 墓場まで持っていくことになりそうです。 このカードは桐蔭横浜大が2連勝し、優勝。 神奈川工科大は勝ち点2、5勝しながらも5位。 その5勝、勝利投手は全部渡邉啓太投手だったりするため、 最優秀投手賞となったりしました。 この後、桐蔭横浜大では、 4年水野捕手と日本製紙石巻で再会することになります (豊島選手に会えなかったのが、ちょっと残念ではありましたが)。 そして神奈川工科大は…元々は渡邉啓太投手に釣られたとはいえ、 この4年の代はスタメンも多く、どうしても印象に残ることになりました。 結局社会人野球で続けることになったのは、 渡邉啓太投手と鈴木選手の2選手だけではあったのですが。 |